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イラストレーターの枠にとどまらず、映画やゲームのキャラクターデザインなども手がけ、海外にも多くのファンを持つ寺田克也さん。
「ALWAYS 三丁目の夕日」で、日本映画界の賞を総なめにし、監督でありながら脚本や特殊効果まで手がける山崎貴さん。
ジャンルを超えて活躍する二人のトップクリエイターはアサビで学ぶ先輩後輩として学生時代からお互いに刺激しあう存在でした。
その二人が語ってくれる、アサビでの生活や授業、先生などなど。今をときめく二人を育んだ、アサビの雰囲気や校風を感じ取ってください。

寺田さんが一年先輩で山崎さんが後輩になるわけですが、学年の違うお二人の出会いや印象をお聞かせください。

寺田
僕は映像を専攻していなかったのですが、その研究室にあるコンピュータをいじりまわしていたので、そこで初めて山崎君に会いました。
それから作っているものを折に触れて見ていましたが、やっぱり才気ばしっていましたね、早くから。やりたいことがもうあるんだなぁと感じていました。
山崎
寺田さんはやっぱり絵がうまい人だと思いました。僕の周りでは、寺田さんが上手過ぎるのでイラストレーターになるのをあきらめた人が多かったんですよ。
それに学生でもプロの仕事をしている人がいるんだと驚きましたね。
寺田
アサビの先生や講師の方の中には、現役のデザイナーさんもいらっしゃって。その方たちからイラストの仕事をもらってました。

仕事となると課題とはかなり違ってくると思うのですが、具体的にはどんな感じだったのでしょうか?

寺田
いつかはプロになりたいと思っていましたが、やはりお金をいただくことですから、趣味で描いてきたものとは、緊張感が全然違います。
印象深いのが、フルーツジュースのパッケージデザインを提案するカンプ用のイラストの仕事でした。完成して持っていったら「マスカットの皮が1ミリ厚い」って(笑)。

カンプということは、プレゼンテーション用のイラストで、本番のパッケージはプロの方が描かれるものですよね。

寺田
でも今考えると全くその通りなんですよ。そこで先生が「寺田君、本当にマスカットを見たことがあるんですか?」と聞くんですよ。確かに見たことはあったつもりだったんですが、僕は見えていなかったわけですよ。3回目の描き直しでようやくOKになったんだけど、そこで仕事をするということは、こういうことなんだと教わりました。あれは本当にいい経験でした。それが今の原点になっています。

山崎さんは学生時代にクリエイティブな現場での経験はあったんですか?

山崎
2年生のときに、今所属している白組でアルバイトを始めました。撮影のテストで使うようなミニチュアを主に作っていました。ミニチュアづくりのプロに発注するまでもないような小さいものや、撮影のテストに使うようなものを担当していました。今考えると、僕のために会社が無理して仕事を作ってくれていたような気もします。とにかくそこで、今の仕事につながるような訓練をさせてもらったと思います。
  

お二人とも学生時代からお仕事に接していたということですが、学校生活はいかがでしたか?

寺田
先ほどのカンプの本番を担当されたイラストレーターの斎藤雅緒さんが特別講師として来てくれました。イラストの専門誌『イラストレーション』でも特集されるくらいの方で、今の自分と照らし合わせてもとても太刀打ちできないような存在でした。授業も勉強になりましたが、それよりもプロとして生活している人のありかたを見られたことが勉強になりました。プロになることが決して夢の世界ではなく、現実味のあることなんだとわかりました。またプロとしての心構えも数多く学びましたね。
山崎
現在、VFXの第一線で活躍されている橋本満明さんが、映像研究室の助手としていらっしゃったのが大きいですね。それに、研究室には当時から機材がちゃんと揃っていて、なおかつ映像を専攻する学生が少なかったので、使い放題でした。

その橋本さんは、アニメーターの西内としおさん、映画監督の雨宮慶太さんと、学生時代にアサビの映像同好会を立ち上げたというお話を聞いています。

寺田
僕は卒業してからもずっと橋本さんと付き合っていて、良くしてもらいました。橋本さんと西内さんが同時期にフリーになり、こちらは卒業したばかりで。3人とも仕事がないから、みんなでボーリングばかりやっていました(笑)。もちろん仕事も一緒にやりました。次第にそれぞれの仕事が忙しくなって、ボーリングもできなくなってしまった(笑)。
山崎
橋本さんは学生の面倒見が良かったのも嬉しかったですね。それにアマチュアとプロフェッショナルではどれほど差があるのかということを身を以って教えてくださった人ですね。僕には師匠筋がいないんだけど、敢えて言うならアサビの橋本さんがそうですね。
寺田
あとプロダクトデザインを教えて下さった大沼先生にもお世話になりました。1年生のときから仲良くしてくださいました。私生活でも、旅行に連れて行ってくれたこともあります。そんな先生からはモノの見方や、いろいろな局面での考えかたなどを教えていただきました。それは今でも役に立っています。本当に出会えて良かったと思っています。

授業の課題で何か印象に残っていることはありますか?楽しかったことでも、辛かったことでも結構です。

寺田
色の感覚が自分は弱いと自覚していたんです。アサビでは色に関する基礎的な授業があって、たとえば、ポスターカラーを使ってカラーチャートを作るとか、同一の色相を使って平面構成するとかです。非常に地味な作業でしたが、そこで初めて色の使い方がわかったような気がしたんです。それはある程度の量をこなさなければ到達できないところだと思いました。質よりも量をやらなければいけない時が何にでもありますから。イラストの授業はわりといい加減にやっていたのですが(笑)、色の構成の課題だけは3年間の中でもっとも真面目に取り組みました。実は、その事はしばらく忘れていたんですが、あるときスーッとよみがえってきたんです。あのときほど、自主的に一所懸命になれたことはなかったんじゃないかと。
山崎
僕は「新しい形の動物園を提案しよう」という課題が印象に残っています。パネルで提出ということだったのですが、ここは裏をかいてやろうと。
パネルも出しつつ、映像でも提出しようとしました。8ミリを使ってコマ撮りをしたプロモーションビデオのようなものです。これが結構大変で、なんとか映像は提出日に間に合ったのですが、映像づくりに入れ込み過ぎて、クロッキーの提出も必須だったことを締め切り20分前に気がついて。慌てて本を見ながらクロッキーを何枚も仕上げたことを覚えています。映像は非常に好評で、さらに先生がみんなの前で「映像に加えて、山崎はこんなにもクロッキーを描いているじゃないか。みんなも見習え」と(笑)。

真似してはいけない話ですね(笑)。しかし、映像という好きなジャンルで勝負したいという気持ちの表れでもありますね。

山崎
人より一歩先に行きたいという気持ちだったんです。その想いはいまだに変わりません。映画の企画を出すときでも同じです。

では、卒業してからプロになって、お二人が一緒に仕事したのは?

山崎
『ジュブナイル』のノベライズ本を出したときに寺田さんにイラストをお願いしました。

どんな気持ちですか、学生時代の後輩から仕事の発注がくるというのは?

寺田
いや、もう先輩だからといって全く気構えることはありませんよ。逆にいい仕事で感謝しています。もう後輩とは思っていないですからね。それとは別に、山崎君からやりたいものがあるというときは、手伝うこともあります。まあ、つかず離れずの良い関係です。

では、最後にクリエイターとしてお互いにメッセージやエールがあればお願いいたします。

寺田
山崎君は、たぶん頭の中にはもう撮りたいものがあるんですよ。好き勝手やっているようで、今は本当に好きな事をやってないと思う。それをやれたときに、はじめて山崎貴という作家が誕生すると思っているんです。今はそこに辿り着く過程じゃないのかな。もちろん社会的には成功していると思う。でもそれはどうでもいい話で。アサビ時代に「こんなの作ってますよ!」って憎たらしい笑顔で俺に言っていたような感じで「どうだ!」と俺に見せたいようなものはまだ撮ってないと思うんだよね。そういう作品を早く見せてほしいですね。
山崎
寺田さんの仕事はフォーマットができて、完成されていると思います。なので、それを壊すような意外なことをしてもらいたいですね。「寺田さんがこれやったんだ!」と驚かされるような仕事をもっとしてほしいと思っています。

今日はどうもありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。